ブログ

*

洞窟から外界へ連れ出す―ビジネス倫理の意義

カスパー・ハウザーの謎

1828年、ドイツのニュールンベルクで奇妙な青年がたたずんでいた。彼は野良着をまとい、なんとか前に進もうとしているのだがそれもままならず、同じ言葉をくり返すばかりであった。彼は自分の名前だけはカスパー・ハウザーと読みやすい字で書くことができ、年の頃は16歳か17歳ほどであるらしい。さらに彼は生まれて間もない頃から、暗くて自分以外誰もいない地下牢のようなところに閉じ込められており、いつも座ったままの姿勢を余儀なくされていたようであった。

彼は外の世界を見ることもなく、水とパンのみが与えられ、身の回りの品は2頭の木馬といくつかのリボンだけであった。彼の世話をした男は食事をもってくる以外はカスパー・ハウザーに話しかけることもなく、彼はたった一人で木馬にリボンを結んだりほどいたりしてこれまで過ごしてきた。

カスパー・ハウザーは保護された後、学校教師や周りの人々の献身的な看護と教育によって、数年のうちに言葉を覚え、社会的な知識を身につけ、精神的な成長を成し遂げることができるようになった。

彼の存在は当時から人間の知覚、体力、道徳的思考、知的能力などの教育の意義や発達過程の格好の研究題材として注目されており、欧米では彼に言及する論文や書籍は1000を超えるという。

特に彼の視覚については人間の認識能力について考えさせる点が多い。一般に我々は事物の遠近を把握し、小さなものは遠くにあり、大きなものは近くにあると認識する。しかし生まれて間もなくから地下牢に閉じ込められ、外界を見たことのないカスパー・ハウザーにとって外の世界は我々のようには認識されない。遠くのものが小さく、近くのものが大きいという視覚の常識が理解できないのだ。

彼は窓から見える光景を「醜い、醜い」と繰り返し叫んだという。少々長いが非常に興味深いので、カスパー・ハウザーの言葉を引用してみよう。「ええ、実際その時、私が見たものはたいへん醜く、いやなものでした。どうしてかというと、窓を見る時はいつも、窓のよろい戸が私の目の前で閉じられているように見えたのです。そのよろい戸は、白・青・緑・黄色・赤のえのぐをみんな混ぜあわせたような奇妙なゴチャゴチャしたものでした。その当時、私は物を見る時、単一なものを選択的に抽出して見ることができませんでした。他のものと区別することができなかったのです。このことは、物を見るのに大きな障害でした。そして、私をいっそう不安にしました。まるで戸外を見るのを邪魔するために、この多彩な色のよろい戸で窓が閉められているみたいでした。その時私が見たものは、野原であり、丘であり、家であったのですが、その後、散歩しながら確かめてみると、大きく見えたものが実際は小さかったり、小さく見えたものが実際は大きかったりして、ずいぶん違っていました。」

長らく地下牢に閉じ込められ、遠近を知覚することを経験したことのなかったカスパー・ハウザーにとっては、窓の外の遠くの山も近くの家も、すべてが平面上に描かれた油絵のように見えているのだ。これは幼い子が遠くにある月を手に取ろうとすることに似ている。

カスパー・ハウザーの知覚に対する興味深い事例は、実は人間の哲学的な思考能力とも関連がある。カスパー・ハウザーを2000年以上さかのぼる、ギリシャにおける西洋哲学萌芽の時代に、同様の比喩をつかって、プラトンは人間の哲学的思考のあり方について言及している。

 

洞窟の比喩

プラトンは西洋哲学の中でも哲学の始祖と称される哲学者である。プラトンは洞窟の比喩という寓話を用いて、洞窟に閉じ込められた囚人の例から、哲学の役割を描いた。

囚人たちが子供の時からずっと洞窟の中で縛られ、出口のほうではなく、洞窟の奥の壁に向かって顔を向けられ、洞窟の外の方へは頭が向けられないようになっている。そしてこの囚人たちの後ろで火がたかれ、前の壁にいろいろな物の影絵が映る。囚人たちはその影絵しか見られないので、それが実物だと思ってしまう。ラクダの格好をしたものの影絵が映れば、その影絵をラクダだと思う。犬の影絵が映れば、その影絵を犬と思う。囚人たちは外の世界の本物のラクダや犬を見たことがないので、この壁に映った影絵こそが真実のラクダや犬と思ってしまうのである。

さて、その囚人のひとりがあるとき、自分を縛っていた縄を解かれて、洞窟の外の世界に行ったとしよう。その囚人に太陽の光の中で本物のラクダや犬を見せたとしよう。囚人は暗い洞窟の中で生きてきたこともあり、陽の下では余りにまぶしくて目をあけていることさえも苦痛であろう。そしてその場で向き合わされたラクダや犬の実物を「お前たちが見ていたのは本物のラクダでも犬でもない。これが真実のラクダや犬なのだ」といわれたとしても、これまで自分の慣れ親しんだラクダの形の影絵や犬の形の影絵の方が真実で、まぶし過ぎる世界で見たラクダや犬を嘘のものと思いなしてしまうであろう。

もしあなたが洞窟の外の世界の人間であるなら、洞窟の中にいる囚人たちに「あなたたちの見ているのは単なる影絵で、虚偽の世界なのですよ。本当の世界はもっと素晴らしいものなのですよ」といいたくなる欲求に駆られないであろうか。

哲学のあり方とはこの洞窟の比喩によって粗雑であるが巧みに表現されている。哲学とは洞窟に縛られた人々を理性によって解放し、真実の世界に連れて行くことといえる。さて、この洞窟に縛られた人々の比喩は現代社会にどのような示唆を与えるのであろうか。現代の哲学の一分野である応用倫理学は、このような洞窟にとどまるような思考、言い換えるなら、ありもしない神話を信じている人々を解放することがその目的といえる。

 

神話を解体する

ビジネス倫理の分野の長らく支配的であった神話は、米国の高名なビジネス倫理学者R. T.ディジョージによると「ビジネスと倫理は、両立しない」という「ビジネスの非道徳性の神話」とされる。このときの神話という言葉の意味は、作られた大きな嘘というニュアンスが含まれている。神話とは日本神話にしろ、ギリシャ神話にしろ、壮大なストーリーをもち、広くかつ時代を超えて認知されているものである。しかしその実、神話そのものは真実とは言い難いものであり、人間が築いてきた壮大な虚構ということもできる。

さて、「ビジネスの非道徳性の神話」というものを解体していくのが、ビジネス倫理の役割といえる。ビジネス倫理とは生命倫理や環境倫理と同様に応用倫理学という学問分野の一つである。応用倫理学とは倫理学を現実の社会に応用して、現代社会の問題を倫理学的に分析、考察しようとする学問である。この倫理学とはもちろん哲学の一分野であり、それゆえ、ビジネス倫理学には哲学的な思考が不可欠とされる。

近年のCSR(企業の社会的責任)の流行や、企業不祥事を防止するためのコンプライアンス意識の高まりなどは、まさにこの「ビジネスの非道徳性の神話」というものが解体されてきた現実が示されている。

しかし哲学的なビジネス倫理は現状のCSRやコンプライアンスにとどまるものではない。企業の社会的責任という場合の責任とは一体どういうことなのかを考える必要がある。製品の安全性とはどこまで要求されるのか、働きやすい職場とはどのような職場なのか、近隣の住民のために工場はどこまでの環境基準や安全基準を守るべきなのか、これらの問いは、日常的な経営における実践課題であると同時に、極めて哲学的な問いということもできる。

ある基準が完成され、それを皆が受け止めだすと、そこにまた神話が生まれる土台ができる。製造物の安全性、職場環境などもここ50年間で飛躍的に向上してきた。それは現状をもって、これでよしとするのではなく、絶え間なく「この現状に慣れてはいけない、この現状に満足してはいけない、もっともっとよいものがある」との不断の努力を企業とかかわりのある人たちが意識してきたからに違いない。

ビジネス倫理とは企業に対する絶えることのない改善の試みといえるかもしれない。

 

立ち止りたくなる人間

カスパー・ハウザーは地下牢から解放されて、社会的な生活に慣れ親しんでからも、この世界には満足していなかったという。そして彼を地下牢に閉じ込めていた男のところに戻りたいと訴えていた。彼によれば地下牢の生活は頭痛がしたり、悩んだりすることもなく、社会で出会う嫌な臭いや無遠慮な人たちも煩わされない。カスパー・ハウザーは星や実物の馬など世界にある素晴らしいものの存在を教えてくれなかったことを除けば、自分を再び地下牢に連れ戻してくれないこと以外、閉じ込めた男に不平はないようであった。

現状に慣らされてしまうと、それが他の人からは決して評価されないものであっても、人間はそれに固執してしまう傾向がある。洞窟に育った人間は、そこを出たがらなくなってしまう。しかし洞窟の外の人間から見ると、その人間の認識は決して正しいものではない。プラトンの洞窟の比喩は哲学という学問が人間を洞窟から外に連れ出す役割があることを訴えている。カスパー・ハウザーは決して遠い外国の昔の話ではない。我々も様々な世界観や価値観、情報などに縛りつけられて動けなくなっているのかもしれないと疑う必要がある。その認識をもって、自分をその縛りから解き放とうとすることが、人を自由にしてくれる。

人間はたとえ厳しくつらくとも、洞窟に戻ってはいけないのだ。

 

近畿大学経営学部発行『知識の狩人-学問の世界・学びへの誘い-』掲載文

 

参考文献

リチャード・T. ディジョージ著、『ビジネス・エシックス―グローバル経済の倫理的要請』、麗沢大学ビジネス・エシックス研究会訳、明石書店、1995年

A. V. フォイエルバッハ著、『野性児の記録3 カスパー・ハウザー』、中野善達、生和秀敏訳、福村出版、1977年

プラトン著、『プラトン全集11 クレイトポン 国家』、藤沢令夫訳、岩波書店、2005年

バートランド・ラッセル著、『西洋哲学史1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』、市井三郎訳、みすず書房、1970

ページの上へ
ESSAY
研究成果の社会への還元
中谷常二ブログ
著書のご案内