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ビジネス倫理勉強会 第3回勉強会メモ (2011.1.14)

*本稿に記載されている意見等は勉強会出席者によるもの、あるいは筆記者が記述したもので、必ずしも中谷常二個人の見解とは同じとは限りません。

 

課題書「ソクラテスの弁明」

 

・「財産から徳が生じるのではなく、徳にもとづいてこそ財産およびそれ以外のものの一切が、人間にとって、私的な意味でも公的な意味でも善いものとなるのだ」(P.51 L.5)

徳=善いもの:職業によって求められるものは違う。

これだけ技術が進んでも人間が満足できていないのは何故か。

満たされるかどうかより、満たされるレベルの問題といえる。

現代の新自由主義はカネが手に入れば幸せになるという考え方。だが、全ての人がそれを本当によいことと考えていないのではないだろうか。

「徳=善きこと」と、「幸福」とは別のこと

 

・ソクラテスは否定しかしない。

我々は「相対的」に生きているので、何かと比較しないと評価できないのでは?

徳は見えない、つかみ所のないものなので、つい人間は見えるもの(カネやカラダ)を基準に判断してしまう。

 

・見えるものは見えないものより浅薄といえるのか

最近はCSRでも「見える化」したいと言われる。しかし、CSRのような企業の試みを単純に見えるようにすることは本当によいといえるのか。

ソクラテスの哲学とは、2300年議論されてきても、万人が真理と認める結論が出ていないものも多い。「分からない」ことが本当は悪いことではなく、分からないことに意味があるかもしれない。分かりやすいことが本当によいことなのか、考えてみる必要がある。

全く分からなければ、人間として共通認識が持てないし、議論もできない。同床異夢もあるので、ぼやっとしたものでも形がある方がよいとも思える。

万人が求める真理の一つの形がイデアといえる

 

・道徳的相対主義について

たとえば日本では勤勉さを尊いと思うように、文化圏によっては共有できるものはある。

だが、日本の中でも勤勉さを尊いとすることを疑う考えもある。過剰な勤勉さは過労死を招く。

科学と同様、「よさ」にも進歩があるといえるのではないか。

人類は全体としてレベルアップしているといえるのであろうか。

人の一生程度の時間では行きつ、戻りつかも知れないが、歴史を見れば進歩していると考えてもよいと思う。

 

・高度成長期には皆満足していたか?

当時はがんばれば報いられると思えたからこそ幸せだったのではないか。

勘違いでも幸せならよいのか。客観的に幸福であることが幸福の条件といえるのか。

絶対専制の独裁国の人民が自分たちを幸福だと感じているのなら、その国の指導者は最高の為政者ということになる。しかし、その国の現状を他国がみた場合、極めて悲惨な場合もある。

病気でどんどん死んでいく社会と、薬があって病気が治る世界とを比較すると、後者が幸せと考えるかもしれない。そうなるとやはり基本的なインフラの整備などは幸福の条件と言えるだろう。

ソクラテスは「幸福」ではなく「善さ」を求めている。

人間には欲望があるが、それを満たすことが「善い」とは言えない。

進化生物学では協調行動が種の保存本能に基づくものだという説がある。人間の「徳」と考えているものも結局はそういう本能に基づくものという考え方もある。

 

・「私が一方ではすでにかくも多年にわたって自分自身のことも一切を顧みることなく、家の暮らしがなおざりにされたままに甘んじていながら、他方では、個人的に一人一人のところに出かけては、まるで父親か兄のように徳に配慮するように説き勧めて、皆さんの利益となることを常に行っているということは、とても人間業とは見えないからです」(P.54 L.9)

現代の日本ではソクラテスのように若者を導こうとする人がいなくなっているのではないか。

人々が哲学的に覚醒して、どうして働かなくてはならないか、働くことの意味は何なのか、などと言い出すと企業としては人を使いにくくなる。

人間が哲学的に覚醒すると、混沌の世界に入ってしまい、労働などの日常生活に支障をきたすかもしれない。

混沌を経て納得に至れば、結果的に仕事に対してもモチベーションが上がると思う。

 

・「皆さんに対してであれ、他のどんな群衆に対してであれ、誠心誠意反対し、多くの不正と違法なことが国家において生じるのを妨げようと生きながらえる者は、人間のうちに一人もいないのであって、正義のために本当に戦おうとする者は、たとえ少しの間でも生きながらえようとするならば、公的に活動するのではなく、私的なかたちで活動せざるを得ないからです」(P.56 L.10)

・「あなた方を吟味する人間はずっと多くなることでしょう。実は私がかれらをこれまで抑えてきたのですが、あなた方はそのことに気づいていないのです」(P.78 L7)

ソクラテスは圧力に屈せず死を恐れなかった

自分の言葉によって目を覚ます人は必ず増えてくると、ソクラテスは信じていた。

ソクラテス自身は自分の死後2000年以上もたった東洋の国で、仕事を終えたビジネスマンがソクラテスの言葉について討議しているなんてことは考えもしなかっただろう。しかし、彼の言動によって国や文化や宗教や時代を超えて、多くの人々が彼の生きざまや思想に感銘を受け、それぞれの人生や社会に反映させている。そういう意味では、ソクラテスの信念は正しかったといえよう。

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